『ウォーム・ボディーズ』

ロメロは死んだ。いや、やはりゾンビになったと言うべきだろうか。

ウォーム・ボディーズ』を見て、確信した。 (ネタバレあり)

なんだかよくわからないけど疫病が蔓延した結果、生きている人間の数はずいぶん減って、代わりにゾンビがウロウロしている世界。

主人公のRの視点で語られる。

Rはゾンビ。記憶はない。心臓は動かない。夢を見ない。そして、人肉を食べる。モノローグを語る程度の意識は存在しているけれど、はたから見るとぎこちなく、そしてあてもなくうろついて、時々呻いているだけのゾンビ。唯一、なんとか発する言葉は"Hungry..."。それでも人とつながりたいと願っている。

ゾンビにも、いろいろある。肉が残っているうちはいい。 骨だけになった「ガイコツ」はゾンビの目から見ても、もはや意識のないモノホンのゾンビ。 肉のあるゾンビは、記憶はなくても意識はあって、最低限のコミュニケーションがとれる(呻きあうとか、"Hungry..."とか)。

ゾンビがなぜ人肉を食うのか?という点について、この設定が素晴らしい。『ゾンビの作法』でも、「美味である」みたいなことしか記述はなかったし、『ぼくのゾンビ・ライフ』でも、ファーストインプレッションは「おいしいね、この鹿肉」だった。

Rは、脳を食べるとその人間の記憶を追体験できる。もちろん、よくわからない根源的な飢餓で、その他の部分も食べるのだけれど、記憶の追体験に人間的な喜びを見出している。その瞬間だけ、食べた人間の記憶を通じて、「人とのつながり」を感じることができる。

Rは、人間の女性をたまたま助け、コミュニケーションを取り、それをきっかけに、Rと周囲のゾンビ達は人間性を取り戻していく。

これは画期的だ。

ロメロ以来のゾンビ映画は、極限状況の人間関係、心理を描いてきた。しかし、極限状況なんてのはなかなかこなかった。冷戦はとうに終わったし、第三極の絶え間ない紛争も先進国の人間には、文字通り遠い国の話だ。

一方で、コミュニケーションの問題は深刻だ。誰ともつながれず、孤独に死んでいく老人がいる。深い人間関係を築くのに億劫になっている若者がいる。そう、彼らがゾンビだ。

ゾンビは人とつながれない。Facebookで「いいね!」をするとき、Lineでスタンプを送る時、そんな瞬間だけ人とのつながりを感じることができる。そう、僕らがゾンビだ。

もっと深刻なのはガイコツだ。彼らが喜びを感じることができるのは、見知らぬ誰かの迂闊な発言を見つけ、魚拓をとり、仲間を呼び、過去をほじくり、その友人関係を調べあげ、肉を食い散らかす。

大事なのは、見つめ合い、言葉を交わし、手をつなぐことだ。触れ合って、心を通わせる。そうすることで、僕らはゾンビから人間に戻っていく。

ゾンビの世界は、28日間で爆発的に広がるわけではなく、既にじっくりと始まりつつある。

孤独に耐えることではなく、孤独をなくすべく戦うことが重要だ。