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『その問題、経済学で解決できます。』

毎年、今年はあの本を読めてよかったなと思える本が1冊ぐらいある。年末に厳密にランキングを考えているというよりもそれは読んだ瞬間にわかっていて、その他多数とは一線を画してくる。『その問題、経済学で解決できます。』はそういう本だった。

2014年に出ていたこの本をなぜいままで読まなかったのかと後悔したが、その答えは簡潔で邦題を見て、サラリーマンの悩みのほとんどにはすでに学問的な「答え」が出ている (マイナビ新書)となんとなく同じ類の本だと勘違いしてしまっていたからに他ならない。

もっともその本も目次しか読んでいないので、誤解だったら申し訳ないのだけれども、『その問題~』は日常の薄っぺらな悩みに対応する出来上がりきった学問的結論を並べていくような本ではなくて、実験経済学の第一線の研究者が現代社会の病理に向き合い、嘲笑や反感、ときには生命の危険を顧みずにデータを集め、問題を解決する、そういうドキュメンタリー的な読み物だ。

ちなみに経済学の理論や数式は出てこないので、kindle版でも読みやすい。

その問題、経済学で解決できます。

その問題、経済学で解決できます。

著者のジョン・A.リスト*1およびウリ・ニーズィーの業績は、表紙に書いてある「ノーベル経済学賞最右翼!」があながち煽りでもないと思えるもの。

1980年、90年には経済学においてもデータを用いた実証研究が増え、2002年にはカーネマンが行動経済学および実験経済学への貢献でノーベル経済学賞を受賞している。

行動経済学の本を読んでいるとよく出てくる描写として学生を集めてちょっとした実験が行われるシーンが良く出てくる。

100万円を80%の確率でもらえるのと70万円確実にもらえるの、どちらがいいですか?

とかそういうのだ。*2

そういった仮定のもとでゲーム的に行われるラボ実験に対して、実際の市場の中でサンプルを抽出して実験を行うフィールド実験のパイオニアが著者のジョン・リストだ。*3

ジョンとウリの手法はランダム化実地実験とよばれている。医薬品の臨床試験を思い浮かべるとわかりやすい。ある病気の患者を集め、2つのグループに分ける。片方のグループには実験対象の薬を投与し、もう片方には偽薬と投与する。グループ間の差異をもって薬効を検証する。

基本的にはこれと同じことを経済学でやる。が、これはむちゃくちゃ難しい。ランダムにサンプルを抽出しないといけないので、当然ながら「教育に関する実験対象者募集!」なんてやるわけにはいかない。そんなことやったら教育熱心な人しか集まらないから実験の妥当性は検証できない。「1日報酬100ドルで、実験に参加してください」でもダメだろう。1日を100ドルで差し出したい属性の人しか集まらないだろうから。

とにかく公的機関や企業、団体、地域住民、実験の理念に共感してくれる協力者を、説得しないといけない。それもOKの一言では足りなくて、全面的な理解と協力がいる。この本の第四章では貧困地域の学校で成績を上げ、中退率をさげるための有効なお金の使い方の検証が行われるが、読む限り重要なのは理論よりも実験をやりきる行動力だ。

1日の実験だって困難だ。「試験の成績が前回より良かったら生徒に20ドルを渡すことで、どれだけ成績が改善するか?」これを実地で実験するのはものすごく大変そうだ。

まず50人のクラスでやったら最大1000ドルかかる。僕が学校の先生なら、その金オレにくれ、って思う。

これは実験だから非対照群が必要で、別の50人には隣が20ドルに沸き立つ中で、いつもどおり試験を受けてもらわないといけない。僕がその生徒の一人なら、ふざけんな、って思う。

ついでに別のグループでは、試験よりも前に20ドルを机の上においてもらい、それを何に使うか思い浮かべてから、試験を受けてもらう。これで更に1000ドル予算追加。*4

とにかく、2000ドル用意していかないといけないし、用意していったとしても怒れる関係者を説得して、最後はそれをぜひやるべきだというところまで協力姿勢を引き出さないといけない。

それだけでも大変なのにこれを1ヶ月、半年、1年の単位でやるとしたら?報酬を渡す対象を親や先生にしてテストするなら?(まさか一人20ドルではすまないだろう)さらにこの報酬がなくなったあとも、勉強する姿勢が身について効果が残るかを検証したいとしたら?とにかく気が遠くなるほど大変そうだ。

教育についてはコレだけではすまない。幼児教育において、カリキュラムの妥当性の検証なども第5章でやっているが、これは完全に年単位のプロジェクトだ。実験的な施設を準備しないといけないので数千ドル、数万ドルで済む話ではない。後援してくれる財団を探し、1000万ドルを提供してもらっている。

当然「入園希望者募集!」ではなくて、対照群はランダムに抽出する。貧困地域でのことだから、プロジェクト開始前に対象者が来なくなってしまったりする。サンプルの喪失は実験の信頼性に関わるし、来なくなってしまう子こそ、手助けが必要だ。

ジョン・リストは英語も通じなかったり、ドアを開けたら銃で脅されたりしそうな地域に乗り込んで、サンプルに教育を受けさせるよう説得してまわる。気がついたら20人ぐらいの男に囲まれて、「あの子には教育なんか必要ない」みたいに脅されている。

僕はサラリーマンだけど、仕事でそういうのやれって言われたらできるかどうか自信がない。よっぽど自分自身でその仕事の重要性を感じているプロジェクトじゃないと無理だろう。

とにかく『その問題、経済学で解決できます。』はそういう感じで、2人の経済学者が社会問題に立ち向かっていく読み物として面白い。

一方で仕事上も役に立つようなことが書いてある。ランダム化実地実験は、因果関係の検証という意味ではビッグデータブームの先にあるものと言える。

ビッグデータの分析は、基本的には実験ではなく、自然現象の観察に近い。データさえ取っていれば、膨大なデータから法則を見つけることができる。しかしこのやり方は相関は見つかるが因果関係を見つけづらいという致命的な欠点がある。つまりAとBの数値に相関があったところで、Aを高めればBが高まるとは限らない。

ランダム化実地実験はこの点に強い。データの規模は大きくなくていいから、ランダムな抽出を行って、施策の対照群と非対照群に分け、観察する。Aの施策の投入後、Bの数値に差異が現れれば、因果関係が示せる。

それについてサンプル抽出をどうすべきか、実験の設計でどう気を使うべきか、そういったことを考えはじめる指針として、この本は役に立つ。(あくまで指針であって、この本には詳細はないので、計量経済学の本とか、Rの本とか読んだほうがいいと思うけど)

その問題、経済学で解決できます。

その問題、経済学で解決できます。

ファスト&スロー (上)

ファスト&スロー (上)

ファスト&スロー (下)

ファスト&スロー (下)

Rによるデータサイエンス データ解析の基礎から最新手法まで

Rによるデータサイエンス データ解析の基礎から最新手法まで

*1:こう書いておかないと、検索してもジョン・リスト事件しかでてこない

*2:100万円を80%なら期待値は80万だが、多くの人は確実な70万を選ぶ。そのあたりは行動経済学―感情に揺れる経済心理 (中公新書)とかセイラー教授の行動経済学入門とかなんでもいいので読めば書いてある。全社が僕の大学時代のゼミの教授であることは一応補足しておく

*3:ちなみにジョン・リストはラボ実験の限界を指摘した論文等も出している Steven D. Levitt and John A. List(2007)“What Do Laboratory Experiments Measuring Social Preferences Reveal about the Real World?”

*4:これは行動経済学の損失と利得の差異の検証のためなんだけど、そのあたりは行動経済学―感情に揺れる経済心理 (中公新書)とかセイラー教授の行動経済学入門とか(以下略)。