故宮博物院に行ってきた。ちなみに行く前のぼくの故宮博物院に対する知識は以下のような感じ。
という雑な感じでいったけど、後の印象としては以下のような感じになった
現代的なセンスを昔のものに感じる不思議
古い時代のものというのは堅苦しい。昔の人はユーモアを解しない。「現代的なセンス」みたいな言葉に毒されていつのまにかそういう勘違いをしてしまう。
実際にはまったくそういうことはなく、どの時代の作品をみていても「現代的なセンス」だなと感じるようなものがちらほらある。感じる対象は紀元前からひかくてき近代だったりと幅広い。つまりは現代的だと思っているものが別に現代的なんてことはまったくない。
「むちゃくちゃ角煮に似てる石拾ったから加工したらさらに角煮になったwww」 Twitterとかで流れてきそうな話だ。そういうのは別に昔もよくあったもので、そのなかでカリッカリにクオリティが高かったこいつは現代にまで残って故宮博物院の代名詞の一つになったのだろう。
「いい色合いの翡翠みつけたから彫って白菜にしたった(虫付き)」
芸術資産は国家の正当性の内的な源泉
台湾(中華民国)における政治的な立場は独立派(民進党)/統一派(国民党)にざっくりわかれる。独立派というのは台湾を「台湾」として中国と明確に別の国として独立していく志向。統一派は、台湾を長い歴史を持つ中国の正統後継政府として位置づけているもので、古くは中国大陸の中華人民共和国を併合するという志向だったが、最近は現実味のなさからか中華人民共和国に併合されることを志向しているような雰囲気らしい。別に詳しくないので認識が違ったらすいません。このあたりの雰囲気は日本人的には以下の本を読んでるとわりと面白く読める。
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それでこの話は蒋介石から続く国民党の話で、地理上の大きさや経済規模でいえば現在の台湾を中国の正統後継政府とみなすのはなんというか「お、おう…そっか…」みたいな思想に思える。しかし故宮博物院に行って感じたのは、こういう美術品を保持していることというのはそういった思想だったり自信の源泉となるのだろうということだった。
単純な芸術的価値だけのはなしじゃなくて、見ていると中国の歴史がまざまざとある。
俺が、俺こそが中国だ。そういい続けられる精神を理解できる。蒋介石が台湾に持ち逃げしたみたいな言い方をされることもあるが、実際見ていると持ち逃げみたいな悪い印象はなく、保存状態や展示方法も良好で、企画展の内容なども凝っており、俺が中国で、中華文化を世界に発信しているのだ、そういう誇りみたいなものを感じる。
芸術にはそういう力がある。
余談:土産物
これはステッカーです。
これはイヤホン巻くやつです。いまだに有線イヤホン使っててすいません。
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