先日、ClubHouseで映画語る会でしゃべった作品。ぼくがなんとなく好きな映画だったけど、雪野くんとしゃべっていて何にひきつけられているかが少し掘り下げられた。
「キョンシー」という存在は『霊幻道士』シリーズでヒットした中国版のゾンビ的な怪物。しかしゾンビ映画が量産され続けるのと比較して、キョンシーはあまり流行らなかったといえるだろう。
『ゾンビ映画大辞典(2003)』を読んでいても『霊幻道士1』の道士役ラム・チェンインの死後はキョンシー映画はあまり作られておらず、その死とともにひとつの歴史が終わったと書かれている。
この作品では、 『霊幻道士1』で道士の弟子役として活躍したチン・シュウホウが落ちぶれた映画スター本人という設定で古いマンションで自殺を図ったことからキョンシーとの闘いに巻き込まれるストーリー。
『霊幻道士』シリーズを見た人からすれば、驚くべき点はコメディではなく純粋なホラーになっていること。『霊幻道士』はキョンシーという怪物を扱っているにも関わらず、道士と弟子2人を中心にドタバタと展開するカンフーコメディになっている。
オリジナルの『霊幻道士』の大ファンであるマックは、本作制作にあたってあえてオリジナル成功の要因の一つであったコメディ要素を完全に排除。さらに清水の参画によってJホラーテイストが多く含まれ、“本当に怖いキョンシー映画”を実現している。
さらに、清水崇の参画で日本的なホラー要素も入ってくる。それは伽椰子的な幽霊が出てくるという表面的な話だけではなくて、その幽霊やキョンシーが生まれる背景の人間ドラマに日本的なホラーを感じることができる。
それでこの『キョンシー』がホラーとしてめちゃくちゃ完成度が高くて面白い。ストーリー、映像美、息をのむ怖さ、日中のホラーが融合されて東洋ホラーの傑作になっているとぼくはおもっている。
これはひとえにジョン・マック監督のキョンシー愛なんだろうなと感じた。落ちぶれた道士がもち米の仕入れだけを引き継いで飯屋になっているような設定やオリジナルではコメディ要素になりがちな息を止めることでキョンシーに築かれない設定すらホラーとして緊張感のある描写に昇華されている。
『霊幻道士』シリーズの設定や配役を散りばめて、ただオールドファンをニヤリとさせたいだけではなく、コメディ要素を廃した現代ホラーとして、『霊幻道士』を知らない世代にもキョンシーを知らしめようという気概を感じる。
さらにすごいことがあるとすれば、その後実際キョンシーシリーズに復活の兆しが見えることなのだろう。
チン・シュウホウが道士役を演じる『霊幻道士』シリーズの後継として『霊幻道士Q』、『霊幻道士X』が作られている(古式ゆかしいカンフーコメディだった)、今後のキョンシーに期待。