2016年のGW明け5月9日株式会社はてなに入社してから5年経った。
世間一般に長いわけでもないが、ふらふらしてきたぼくにとってはこんなに同じところで働いたことはないし、WEBサービス界隈でいえば短くもない年数になってきている。
5年間、仕事以外でもいろいろなことがあった。引っ越しは2回した。離婚もした。副業で週末にカフェを開いた。釣りもはじめた。ITラノベを出版した。子どもが生まれた。
そういう変化はブログに書いているので意識しやすいけど、仕事の5年間もこの機会に振り返っておきたい。
注意:そこそこ長いです(6分程度)。転職したりするという話ではないです。
はてなに入るまで
はてなに入るまではアドテクのなんでも屋として仕事をしていた。これ自体はいま振り返ると一応幸運だった。
いわゆるセルサイド・バイサイドの両方触っていたし、ちょっとしたプログラミングしながら営業に同行したり海外ベンダーと接続折衝していて、技術ビジネスどっちもやっていた。
楽しかったけど、一方で器用貧乏でもあり、身の振り方によっては先が見えなくなりそうだった。はてなに入ったことで、ドメイン知識を拠り所にしつつ、プロダクトマネージャーとしてのキャリアを明確にできたのだと思う。
広告基盤開発チームのマネージャー
2019年3月までの約3年。広告関連の基盤を開発するチームのマネージャーをやっていた。UGCの運営における裏方部門であって、ユーザー向けに告知やリリースがでることはほとんどないが、結構手広くやっていた。
入社してはじめの大きな仕事はネイティブ広告のアドサーバ開発だった。勝手な印象だけど、メディア独自のアドサーバは特定顧客や社内ステークホルダー向けの謎カスタマイズが根幹に組み込まれて意味不明になりがちだ。
この点、入社前のドメイン知識を活かして業界標準をベースにした形でサービス独自の事情を考慮した物ができた。以下は技術発表として公開されている社内の技術ブログ。
それが落ち着いたあとは、RTB広告の基盤刷新と高度化・効率化をやった。10以上あってフォーマットもバラバラな取引業者のレポートを自動クロールして統一した指標でBigQueryに蓄積するシステムを作ったり、ヘッダー入札をwrapperで中央集権管理できるようにした。
全体としては社内のプロダクト開発チームが広告のドメイン知識を持たなくとも、高度なアドテクを活用できる状態になった。そのあたりを専門で仕組みを作ってメディアに提供している事業者と会話しても羨まれるレベルだったので、結構満足のいく仕事になった。
ちなみに3年間を俯瞰すると、プロダクトマネージャーとしての経験を得つつ、自身のドメイン知識をプロダクトに移転させていくことが仕事だった。
プロダクトをチームで作っていくのは完全に未経験で、周りに頼って迷惑をかけつつやっていたと思う。一方アドテクに関するドメイン知識は、マネージャーとして振る舞っていくための拠り所になった。
各種のリプレース時期だったので、プロダクトの根幹に思想を突っ込めた。結果としてプロダクト自体がドメイン知識を持っていて、今後の運用でそれが重要でない状態になった。
いろいろなことが片付いてきた2018年の秋頃、チームのwevox(エンゲージメント解析ツール)のスコアがどんどん下がっていった。
原因は明らかにぼく個人だった。その頃自分がアンケートに回答を入力する際、概ねすべての項目で最低の回答しかできなくなっていた。
人数が多いチームでもなく自分のスコアだけで下に引っ張っている自覚があったし、自分のテンションが低いことでチームも下がっていく負のループだった。会社や事業への不満はずっとあってそれがまったく解消されないことでどうしようもなくなっていた。
本当にこのままだと休職か転職になると思ったので異動の相談をして、2019年4月から異動することになった。
小説チーム
この頃のはてなで小説というとカクヨムしかないのだけど、実際には魔法のiらんどの開発も動きつつあった。
id:nmyさんがチーム全体を見つつ魔法のiらんどの開発を進行していて、ぼくが主にカクヨムのプロダクトマネジメントを担うようになった。
1年目はWEBで小説を書く人が直接カクヨムの広告から収益を得られる仕組みのカクヨムロイヤルティプログラムを中心に作っていた。
広告のことなので実は異動前の2018年秋ごろから検討に関わっていた。それもあってカクヨムを使ってみようとして『転生したらスプレッドシートだった件』を書いてみたりしていた。
その時は異動でカクヨムを担当することになるとは思っていなかったのだが、思わぬ形で次の担当プロダクトのドメイン知識を獲得できた。
創作関連のUGCにおいて難しいのは投稿側のドッグフーディングだ。ブログやSNSは気楽に日々使ってみることができるが、絵を描いたり小説を書くのは簡単ではない。そういうアドバンテージを得た状態でチームに入れたのはラッキーだった。
最近とこれから
最近、上司が退職したのでチーム全体のマネージャーになった。
気がついたら社内のマネージャーの中でも古株側になっていて、チーム以外の全社のマネージャーの職能組織活動とかもやるようになった。異動前に不満だったようなことを改善するのを任されるようになってきた。
はてなに入って5年が過ぎて、もともと強みにしていたアドテク領域からも離れた。プロダクトマネージャーとしての経験だけでもそれなりにやっていけるかなと思えている。
一方個人的にはドメイン知識を重視するタイプではあり、アドテクから出版にスライドしたといえる。当面は出版ドメインに詳しいプロダクトマネージャーとして、Web小説で新しい体験を作っていきたい。
続けられている理由
もともとはてなには長く勤めようと思って入っていて、いまのところその意図は果たせていそうだ。
はてなはいろいろなサービスをやっているので、行き詰まったときに異動して気分を変えられる。単一事業だとそうはいかなかったので辞めていただろう。
あとは純粋にめちゃくちゃ働きやすい会社だ。深夜残業上等で生きてきたところからすると、ちょっとびっくりしている。裁量労働か管理監督者手当で30時間の残業相当をもらっているが、ほとんど超えたことがない。実際ないかもしれない。有給も使い切っている。
こういうのも含めて、良くも悪くもちょっと過剰なまでにちゃんとしているところがある。それは入る前とややイメージが違った。良くも悪くものニュアンスとしては、現場の人間として「もうちょい雑にやらしてくれや」と思うことがあるという意味だ。
京都に来たのも大きい。居心地良いので東京にはもう戻れないし、他にWEBサービス企業で転職する余地がほとんどない。最近はリモートワークが普通になったので、京都に住んだまま東京の会社に転職できるとは思っている。
個人的に辞めないようにバイアスも作っていて、具体的には持株会に入って高額課金している。ときどき会社が嫌になったりしても、自分の金のことでもあるので頑張ろうという気になる。
個人資産のリスク的にはメチャクチャなことになっているが、天引きされなかったら飲み代に消えているお金だし別にいいことにしている。
そんな感じではてなで働いています。一緒にサービスを作っていく人は募集しているので、興味がある人がいれば気楽にTwitter等でご連絡ください。採用サイトもからでもいいのですが、人材紹介報酬がほしいのでわざわざ個人的な連絡を求めています。