大学とモグリの話って定期的にを見かける気がする。
おおらかな大学出身なので、あってしかるべきという派、というか実体験として大学卒業後にモグリをやっていたことがある。昔の話でもなんでもなくて、5年ぐらい前の話。
モグリというとたいてい大教室でやっている教養系にまぎれるイメージだけど、ぼくの場合は大学院のゼミだった。ゼミなので10名そこらのクラス。「モグリです」とは言わないまでも普通に自己紹介もディスカッションもするし、なんなら資料を作って発表もした記憶がある。記憶というか普通にGoogleDriveに資料が残っている。
特別なきっかけというほどのこともなく、転職して大学のある京都に戻ってきたところ、教授から「近いから出れるだろ」「はてななら中抜けして来れるだろ」のようなお誘いをいただいた。つまり公認モグリだ。
おっしゃるとおり職場からは自転車で20分ぐらいあれば移動できたし、上司に「いっすか?」って言ったら「いいよ」ぐらいの感じで許諾された。*1
分野的には経済学なのだけど、社会人大学院生の方がかなり多かったし、専門的な深さよりも学際性のあるようなゼミだった。単に輪読してたとかではなく、それぞれのドメインに絡んだ発表だったので会社で仕事をしている身では非常に面白かったし、やや仕事の領域が近い方とかもいたのでSNSで連絡先を交換したりもした*2。
他にも学部生時代の後輩が立派に博士をやっている姿を見て不思議な気分を味わったりなどもした。
公認だったけどモグリ、というかタダで参加しているという自覚はあったので、他の参加者の学びに貢献できるようにという意識はそこそこ持っていた気がする。これはモグリ本来の良いところでもあるはずで、大学というわりと同質的な人間が集まりがちな場に多様性がもたらされることで講義やゼミの質が高まるということがあるのだろう。モグリ側のぼくがいうのもなんだけど、多様性が質を高めるというのは一般性のあることだと思う。
モグリがやりにくくなる世相みたいな話は、フリーライダーと寛容さの話がメインだとは思うが、モグリの側にもモグリの矜持があるべきで、多様性をもたらすゲストとしての堂々さと、タダ乗りさせていただく謙虚さをうまく表現しながら参加するのが良いのだと思う。
ちなみにモグリと言わず、純粋に修士以上の勉強したいなとはちょくちょく思っている。5年ぐらい働かなくて良い立場があったらすぐにやると思うし、50歳ぐらいでキャリア的に一段落したときとか良さそうだなというのは現実的な話。