最近妻がよくAlexaに童謡をかけさせている。そのプレイリストのなかに「やぎさん郵便」という曲がある。日本で生まれ育った方はたいてい聞いたことがあるだろう。
白やぎさんからお手紙ついた 黒やぎさんたら読まずに食べた しかたがないのでお手紙かいた さっきの手紙のご用事なぁに
黒やぎさんからお手紙ついた 白やぎさんたら読まずに食べた しかたがないのでお手紙かいた さっきの手紙のご用事なぁに
子どもごころに「やぎ、あほやな」とか思って聞いていたと思うのだが、30を超えた今聞くと、ぼくには最初に白やぎさんが書いた手紙の内容とこの歌のテーマを理解した。
まず情報媒体であるはずの手紙の中身を読むことなく食ってしまうというのは愚かな行為だが、そんなものは人間視点の勝手な解釈だ。やぎの立場になって考えれば、これは食べ物を相互に送りあう行為だ。
相互に贈答品を送りあうのは、関係性の向上・維持目的の合理的な行為とみることができるし、高級品ではない食べ物であることを鑑みると、困窮している仲間を助ける行為であるとも考えられる。例の「自助、共助そして公助」の共助だ。
そう考えると白やぎさんがはじめに書いた手紙の内容は明らかだ。
「元気でやっているだろうか?不景気だがこちらはどうにかやっている。君が困っているかもしれないので手紙を送ろう。食ってくれ」
黒やぎさんは読まないのだが、「食ってくれ」という意図は問題なく伝わっている。さらに返事を返すことによって「まだ食糧はあり、こちらもなんとかやっている」という白やぎさんの心配も解消できている。
この手紙を送りあう関係性において、読むことに意味などなく、相互に手紙を送り、そして食うことにのみ意味がある。相互扶助の大切さとそれを理解しない人間の愚かさを歌った童謡が「やぎさん郵便」だ。