汝、我が民に非ズのライブに行て大人としての振る舞いに思いを馳せた

仕事を少しばかり早退して、汝、我が民に非ズのライブに梅田まで行っていた。

町田康の小説を読んだり、音楽を聞いたりし始めたのは大学の頃からでおおよそ10年ぐらいファンをやっていることになる。しかしライブ、講義の意味でトークセッションとか朗読会とかを含めてもそういうのに来るのは初めてだった。それだけでここに感動がある。

機会自体が少なかったのかもしれないが、二十代前半は金がなかったし、後半も金はないなりに少しはあるようになってきたが心の余裕というのがおそらくなくて、情報を調べてチケットを予約してスケジュールを調整するとかそういうことができていなかったように思う。

ここに至って今日ライブに来るに至ったのはいわゆる大人になった、物質的に精神的に余裕ができてきたということなのだろう。大人というとハタチ超えたら大人だろという向きもあって、僕自身も日頃どちらかというとそう考えがちだけど、今日町田康は曲の合間に自分のことを大人になった、昔大阪でライブをしていた頃(おそらくINUの頃だろう)は子どもだったと言った。

つまり何が言いたいかというといま僕は30になって、町田康のライブに来て、自分が大人になった、大人の入り口に立った、少なくとも子どもと大人の境界ぐらいまではきた、ということを感じるに至ったということだ。

開演前のライブハウスに入って思ったのも、落ち着いた人が多いな、ということだった。いかにも20代前半、風貌的に子どもという人は見当たらない。会社帰りのスーツ姿の人、落ち着いた姿の人が多い。それは町田康の歌手として、文筆家としての活動の長さからしたら当然のことなのだろう。

それでライブの様子だけど、汝、我が民に非ズの曲は実は予習無しで臨んだのでまったく知らなかった。これは去年ぐらいライブの情報を得てから決めてやっていたことで、さほど強い意味はないけどぶっつけで聞いてみようという意図だった。

出だしは少し激しかったが、概ね落ち着いた曲が多い。叫ぶ代わりに浅野さんのサックス、フルートが語っていた。

先週ひどく久々にカラオケに行くことがあって、仕事つながりの会だけど僕は今日のことがあるので気持ちを高めようとメシ喰うなを叫んで歌っていた。

そうやって高まったところだったので少し落ち着いた曲に物足りなさを覚えたというのは正直なところだった。

それでアンコール後、おもむろに始まったインロウタキン、続くつるつるの壺はとにかく最高で幸福に包まれた。

その後最後にタイトルソングのつらい思いを抱きしめて。しっとりとした、いい曲だった。帰りの電車に乗る今も頭の中を流れている。

ここにきてぼくは間違いに気づいた。間違いというか正しさに気づいたというべきかもしれない。観客も大人ばかりで、町田康はじめメンバーも大人ばかりだ。一時の盛り上がりはあるかも知れないが、INUの頃のような激しい曲をずっとはお互い続けられない。大人になるということは精神や物質の面で豊かになりつつも、大人の基準が高まった現代においては確実に子どもの頃より身体的に衰えていることを意味する。そういえば先日のカラオケでも、1,2曲歌ったらもうだめだった。もう子供の頃のようには叫べない。

大人にはなったものの、僕はまだ大人としての振る舞い方を心得ていないということなのだろう。これからも大人の余裕を持ってライブとか諸々のことに触れて、振る舞いを学んでいきたい。大人として、つらい思いを抱きしめて。

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署名をもらいました。 

 

つらい思いを抱きしめて

つらい思いを抱きしめて

 

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