ミネムラ珈琲ブログ

ITラノベ著者/さすらいのコーヒー屋/WEBサービスディレクターの日記

インターネット文学を現代の説話文学として1000年後に残したい

こんにちは。ミネムラコーヒーです。はてなスタッフはてなインターネット文学賞の発起人です。発起人とかカッコつけてみましたが、単なる言い出しっぺです。

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とはいえ、せっかく言い出しっぺなので、ブログ部門の応募にかこつけて、はてなインターネット文学賞に対する補足的な想いを書いておこうと思います。

インターネット文学は現代の説話文学

ぼくは、汝、我が民に非ズのライブを観に行く程度に町田康ファンなので、町田康新訳の宇治拾遺物語は買って手元に置いてあります。うち、「奇怪な鬼に瘤を除去される(こぶとり爺さん)」はWebで読めるので、読むと雰囲気がよくわかるでしょう。

それをパラパラとめくりながら思うのは、これってすごくインターネットっぽい。わかりやすいところで言えば増田文学みたいだということです。

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何者でもない人の一晩の不思議な経験や人生が、ちょっと盛っていたりあからさまにフィクションになっていたり、なんのことはない個人の性欲や虚栄心で物語が展開していたりしています。これは説話文学の説明のようでもあり、増田文学の説明のようでもあります。

加えていえば、宇治拾遺物語は市井の人が語り継いだ物語を集めたもので、そういうところもなんだかインターネットっぽいわけです。これは別にはてな匿名ダイアリーのことだけを指しているわけではなくて、顕名でブログを書いていても、フォロワーが6桁いても、単著を数冊出していても、1000年のスパンで眺めれば、無名の市井の人に属するだろうという考えです。

余談ですがぼくも単著があるので良ければ買ってください。

インターネットの物語を1000年後に残したい

それで、表題のインターネット文学とは現代の説話文学だと確信するようになったのですが、つまりそれは1000年後には「こぶとり爺さん」みたいな扱いをされている物語がインターネットから生まれることを意味しています。ちょっと飛躍したかもしれませんが、そう思い至りました。そういう1000年後に残るものが書かれて、掘り出される機会を作りたい、そう考えて「はてなインターネット文学賞」をやることにしました。

「こぶとり爺さん」なんていうとチープで子供向けな印象がありますが、同じ古典文学の『源氏物語』なんかよりもよっぽど多くの人に読まれているわけです。インターネット文学たちにもそういう可能性があり、今日インターネットの片隅で書かれた小さな物語が、1000年後には『カラマーゾフの兄弟』よりも読まれているかもしれないと思うと、夢がありますね。

もちろん放っておいてもそういうものが勝手に生まれるのではないか、あえて文学賞なんてやる必要はないのではないかという向きもあります。そこでわざわざはてなインターネット文学賞なんてものをやるのは、宇治拾遺物語のような説話集の編者に対するリスペクトであり、そして現代の編集の価値みたいなものの問い直しだと思っています。

市井の文学は、誰かが拾い集めて紡がないと市井のままに消えていってしまいます。「こぶとり爺さん」も宇治拾遺物語の編者がいなければ、今に残ってはいなかったでしょう。

個人がそのまま世界に発信できて、編集という行為の価値が疑われている現代ですが、数多ある物語の中からひときわ優れたものを集め、歴史の中に紡いでいく。短期的なバズではなく、100年、1000年先に物語を残していくことに編集の根源的な価値があるのではないでしょうか。ぼくは別に編集者ではないんですが、そういうことを勝手に思っています。

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ご応募、お待ちしております。