深夜11時過ぎ、交番で1人パイプ椅子で座り込んでいた。疲れた。
その10分ほど前、東京からの出張帰りに家に向かって歩いていた。家に帰ってドラマでも見ながらカップ麺でも食うか、あるいは遅くまであいている蕎麦屋によって帰るかを考えながら歩いていた。やけに足元にゴキブリの死体が目についていた。暑さで鈍っているのだろうか。
蕎麦屋が近づいてきて、やはり今日は蕎麦かなと思ったとき、足元にだれかの身分証が落ちているのを見つけてしまった。とっさにやってしまったと思った。周囲にはほとんど人はおらず、当然ながら他に気づいている人などいない。
2秒ほど躊躇してから拾って、Googleマップで交番の場所を確認する。確認してやはり後悔した。わかっていたことだが、帰り道の途中に都合の良い交番はない。最寄りの交番に行くにはいま歩いてきた道をまるごと引き返してさらに家から遠のくしかない。5秒ぐらい躊躇したが、仕方なく引き返した。
交番について留守だったのでやはり後悔した。行きの新幹線で小便器に大便が鎮座していたことを思い出したが、気を取り直して受話器を取り上げて案内通りに電話をつなぐ。遺失物拾得の旨を伝えて、2%ぐらいだけ「ありがとうございます、じゃあ置いておいてください」と言われることを期待したが、98%が採択されてそちらでしばらく待てということだった。疲れ果てていたのでパイプ椅子を柵の向こうから拝借して座り込んだ。
うっかりすると15分ぐらい待たされそうだなと思っていたのだが、予想を裏切って3,4分で警察官がやってきた。深夜に酔っ払いが連れ込まれてきたかのような感じで応対を受ける。たしかにぼくはほぼ毎日酒を飲んでいるのだが、今日に関していえば一滴もまだ飲んでいない。所定通り住所と名前と遺失物の拾得場所・時間を記入し、所定通り盗難品でない確認などを待たされ、所定通りじゃあもう行っていいですよみたいな感じで解放される。
歩きながら考える。ねぎらってくれよ、と。所定の手続きに文句をいうきはない。自分の名前と住所を書くのが嫌だとは言わない。待たされるのもかまわない。別にぼくが出張帰りで疲れ果てている中、いえと反対方向に歩いて届けに来たことは知りようがないのはわかっている。とはいえ、拾って届けたというそのことについてひとことぐらいねぎらいがあってもいいんじゃないか。電話から交番の対応まで、礼もねぎらいもおろか、およそまともな挨拶すらないのはいかがなものか。歩きながらそんな気分になり、蕎麦屋に入ってざる蕎麦と日本酒を頼んだ。
蕎麦をすすりながら考えた。とはいえぼくも疲れていたが、警察のほうも疲れていたかもしれない。なんせ夜の11時だ。酔っ払いの相手とかなんやかんやあって疲れていたのだろう。ぼくだって疲れていたら人に対してそういう応対をすることがないわけではない。別にぼくが拾わなくてもたぶん誰かがひろって届けたであろうとは思うが、当該身分証が不確定な状態を脱したことは事実だ。世の中にとってはけっこうなことだ。
とはいえせめて誰かにねぎらわれたいなと思ってこうしてブログを書いている。いまここまで読んでいる人は、身分証を足元にみつけてしまったぼくと同じ状況にある。不幸の連鎖。