ちまちまと見続けてきたHBOのドラマシリーズ『シックス・フィート・アンダー』をついにシーズン5まで見終えた。
ブログを見返す限り今年の頭ぐらいから見ているようだ。
他のキャラクター(タカハシ等)と名前がズレてるのは、役割が違うからなのですが、このあたりは書籍版をおたのしみに😀
— 転生したらスプレッドシートだった件(公式)@技術評論社から6月22日発売 (@TenseiSheet) 2020年6月6日
なお、命名は著者が改稿しながら見ていたHBO制作海外ドラマ『シックス・フィート・アンダー』の登場人物から。
葬儀屋一家のヒューマンドラマですhttps://t.co/pNhtl3dDNL pic.twitter.com/VNZnHLmHkt
転スプの制作秘話でも書いていたけど、書籍版オリジナルキャラのクレアはこのドラマの登場人物から名前をつけている*1。プライベートなScrapboxに書いてた執筆日誌を見返してもクレアを書き足していたのはだいたいそのぐらいの時期だった。
古いシリーズなので新シーズンを待ったりすることはなかったけど、見てるとちょっと沈んでしまうこともあるし、ながら見できる感じではなく、身構えて、ウィスキー片手に味わって見るようなドラマだったので時間がかかってしまった。
このドラマは葬儀屋一家をとりまくヒューマンドラマだが、基本的なエピソードの進行はどことなく医療ドラマに近い。医療ドラマで冒頭にゲストキャストが病気で倒れるシーンから始まるように、このドラマは冒頭でゲストキャストが死ぬ。その葬儀が進行する傍らで人間ドラマが展開されていく。
ゲストの葬儀パートのコンテンツがほとんどないことも多い。登場人物たちは、ゲストの葬儀を通して、自分の人生について考えたり悩んだりしている。
ゲストはたいていずっと処置室で防腐整形処理を受けながら裸で横たわっているだけなのだが、葬儀屋一家の面々は妄想をしていることが多い。処理をしながら死んだゲストとおしゃべりをしていたりなんてのは常日頃。夢やハイになっているときで自分たちも妄想と現実の境をつけられていないことも多い。
見ている側もいったいこれはどっちなんだとハラハラする描写も多くて楽しい。ミスター・ロボットやドクター・ハウスでもこういう楽しみはあったが、シックス・フィート・アンダーはことこれが多かった。
こういうの、好きなのだなと自覚した。
ちなみにシーズン5まであると失速して行くドラマも多いけど、これはシーズン5がもっとも面白かった。そもそもシーズン1第一話からして、一家の父親が死ぬところから始まるのだ。物語の最後にはどう考えても一家の誰かが死なねばらない。それは少なくとも誰かで、全員かも知れない。かなり過酷なエンディングもあり得る。シーズン5のアオリは恐ろしい。
全部が、全員が、全てが、終わる・・・。HBOがお届けする、エミー賞受賞のドラマシリーズ。ロサンゼルスを舞台にした、葬儀館を商売とするちょっと変わった家族のヒューマン・ドラマ。
すべてが終わるってなんなんだ、最後はいつ何が起こるのかハラハラしながら、あと何話で終わるかを確認するのも恐れながら見終えた。
中身を言う気はないが、ひどく感動したし、とても良いエンディングだった。
人生において好きなドラマのトップ層といえる作品で、またしばらく寝かせてから見返したい。