ミネムラ珈琲ブログ

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5年前に読んだ本を読み返す:サイロ三部作

昔読んだ本を読み返すのに凝っている。いまは5年前ぐらいをターゲットにしているんだけど、この頃は長編ディストピアにハマっていたらしく、6月はジェフ ヴァンダミアのサザーン・リーチ三部作を読んでいた(正確に言うと、三作目の世界受容は買ってなかったので買い足して新規に読んだ)。

ここ2週間はヒュー・ハウイーのサイロ三部作を読んでいた。ウール/シフト/ダストのそれぞれ上下巻の全6巻でめっちゃ長いけど、何夜か没頭して読んだ。ちなみに久々に読み返そうとして最初にやったのは「サイロ三部作 順番」でググることだった。サザーンリーチシリーズはサザーン・リーチ②とかAmazonのページにも書いてて親切ですが、サイロ三部作はわけわかんねえ。

5年前に読んだ、というのがどういう状態かと言うと、ピエール・バイヤールの『読んでいない本について堂々と語る方法』における「読んだことはあるが忘れてしまった本」ということになる。ぼんやりとした設定はおぼえているものの、セリフはおろか、話の流れもほとんど忘れてしまっている。付け加えると『読んだことはあるが忘れてしまった本』を読んだのも10年以上前なので、ほとんど中身は忘れた。

ある捉え方ではこれは「オトク」ということになる。 金は一度しか払っていないにもかかわらず、ストーリーに対する驚きやセリフへの感嘆が時間をおけば何度も楽しめるということになる。

別の捉え方ではこれは「時間の無駄」ということになる。 どれだけKindleでハイライトいれようが、どうせ5年後には綺麗サッパリ忘れるのだ。そもそも読んだ意味あったのか、ということになる。

ぼくは概ね前者で捉えているし、逆に忘れたこともあまり無駄だと思わない。たぶん「どこで得たかわからないけど身についていること、おぼえていること」ぐらいに本質的な価値があるんだと思っている。

あとは自分の変化で、違う価値を汲み取れるという側面もある。5年前とは違って、自分も小説を書いた*1ので、その点から参考になることも多い。

オリジナルな世界観をイチから紡ぐ尊さに感じいったり、恋愛模様の甘酸っぱさみたいなものが、別にラノベのような高校生ではなくても、なんなら老年、中年であっても表現できること、その他いろいろと学びがあった。

生命とはこうあるべきだ。生きる。精一杯生きる。道を開ける。あとから来る者に選ばせる。自分の生き方は自分で決めさせる。それが人の道。

あとは小説家たるものやはりラストには良いメッセージを書きたくなるものだ。ぼくもがんばりたい。

そういうわけで今回も面白く読んだけど、2025年ぐらいにはさっぱり忘れていると思う。

ウール 上 (角川文庫)

ウール 上 (角川文庫)

ウール 下 (角川文庫)

ウール 下 (角川文庫)

シフト (上) (角川文庫)

シフト (上) (角川文庫)

シフト (下) (角川文庫)

シフト (下) (角川文庫)

新作があるのに気づいたので買いました。

サンド (角川文庫)

サンド (角川文庫)