朝、スマホを見るとゆきのくんからメッセージが来ていた。
年明け一通目だというのに年始の挨拶もない。ただ本の名前と著者名らしきものがぼそっと送られてきた。ぼくはゆきのくんのことを本に関しては100%信頼しているのでそのまますぐにkindleで購入した。上下巻あったが両方とも買った。
家事とか食事とかを済ませて、昼から読み始めた。いい本だ。買ってよかった。とにかく良いフレーズがでてくる。
シヴァ・ソムの父は、この世のあらゆる人間は三種類にわけられると考えていた。農家、ベトナム人、女。この三つだ。そういうわけで、ソムが「警官になる」と報告をすると、父は「俺はベトナム人を育てた覚えはない」と怒った。父のオリジナル論理学によれば、警官は農家でも女でもないので、ベトナム人に該当するようだった。
誰もが論理的に物事を考え、論理的に人と話そうとしているが、その論理的というのがそれぞれ異なっているので厄介だ。この論理学によるとぼくもベトナム人だということになるが、論理的に考えてぼくはベトナム人ではない。
一度チリトが「文字を教えてほしい」と頼んできたことがあった。ソムは「シハヌーク」という文字が「悪魔」という意味で、「ロン・ノル」という文字が「粗大ゴミ」という意味だと教えた。そして、それ以外の文字はすべて無意味だと説明して授業は終わった。
ふざけているようだがもしかしたらふざけていないのかもしれない。文字というのは情報伝達の手段であって、「シハヌーク=悪魔」、「ロン・ノル=粗大ゴミ」、これ以外の情報が無意味だと信じるならこの説明は極めてコスパに優れている。
チリトは絶望的に嘘が下手だった。嘘以外のあらゆる行為も下手だったが。
〇〇は絶望的に××が下手だった。××以外のあらゆる行為も下手だったが。
なんて汎用性の高い表現なんだ。まだそんなに読み進めていないが、良いフレーズがどんどんでてくる。これをkindleでハイライトしていると幸福が得られる。最近読んだ中でこの喜びを得やすいのはIQシリーズだ。
ぼくは日経新聞の読書欄をゆきのくんほどではないがそこそこに信頼しているので、以下のレビューを見て買った。
一見、ホームズのクラシカルな世界とは無縁に思えるものの、IQの相棒ドッドソンはワトソン、IQの兄マーカスはホームズの兄マイクロフト、カルバンを狙う巨犬は『バスカヴィル家の犬』……といった具合に、実はコナン・ドイルの原典に登場する要素を律儀(りちぎ)に踏襲している。しかもアイゼイアは悪党相手に軽やかにアクションもこなしつつ(冒頭、幼女連れ去り犯をとっさの機転で倒すシーンが最高である)、本質は観察と論理的思考を重視する頭脳派の名探偵なのだ。
IQ ジョー・イデ著 頭脳派探偵のクールな活躍 :日本経済新聞
IQはむちゃくちゃ面白い。文章の視点が目まぐるしく変わるクセがあるが、なれるとこれも心地よい。何よりいいフレーズがでまくる。
カネの話じゃない。おれのいってることがわかるか? 神がおまえに才能を与えたのは、おまえをヘッジファンドのマネージャーにするためじゃない。そっちの道に進んで、ベントレーを買ったり、裏庭にゴルフ・コースをこしらえたり、そんなことをしておれをがっかりさせたらわかってるな? おまえの──ケツを──蹴り飛ばすぞ
ヘッジファンドのマネージャー、ベントレー、裏庭のゴルフコース、この言葉に対して、わかってるな?ケツを蹴り飛ばす、そういう粗野な言葉が同居しているのがおもしろい。
おれの見立てはこうだ。おれはカネを必要としてる。だが、おまえはこういうこと自体を必要としてる
ドッドソンはおよそ一ミリも知性を感じない登場人物だが、常に真理に迫っている。この発言がドッドソンのものかはちなみに確認してないが、たぶんそうだろう。
ドッドソンが二杯のエスプレッソと温かいデニッシュの皿を持って、キッチンから出てきた。「おれが何してるかわかるか?」ドッドソンがいった。「おもてなしってやつだ」
これを読んでぼくはおもてなしというのがエスプレッソとデニッシュだとすべて理解した。
ちなみにIQは昨年2もでていて、これも輪をかけて面白い。ほんの一言ですら、恐るべき表現力をしている。
- ダース・ベイダーが警官なら、こんな車に乗るだろう
- 危険がリアルなのはわかっている
- ならなんで『CSI』みたいな話し方してたんだ?
- 「何だってアマゾンで売ってる」アイゼイアがいった。「火炎放射器も売り出されてるのは知ってるか?」
時代を経て色褪せるのを恐れずに固有名詞をバシバシだしていくのもいい。
お忙しいところ申し訳ないが、返信してもらえず、とてもがっかりしている。こんな仕打ちを受けるようなことをした覚えはない。説明があってしかるべきだと思う。
誰のセリフかさっぱりわからないが、あまりにもいい。仕事でいつか言いたい。
「エロいこといってくれよ、シェリース──ああ、今だ。ここにはおれしかいない。さあ、おれだけのためにさ?」ドッドソンがじっと聞き、声を殺して笑った。「いいねえ」彼がいった。
2はドッドソンがいくらか真人間になって、面白みが失われるかと思ったがむしろ実際には逆だった。全体的に2のほうがおもしろい。
そのようにフレーズを読んでいて、実のところ話の全体像が読めていないんじゃないかと不安になったりする。実際そうかも知れない。映画やドラマでもそうだ、ストーリーよりも切り取ったシーンを見ている。『野獣死すべし』の電車で松田優作がリップヴァンウィンクルの話をするシーンが好きすぎる。ゆきのくんと酒を飲んでいて、あのシーンが見たくなってバーから引き上げ、そこだけ見て満足して床で寝たこともある。そういう人生も悪くない。
本に関してぼくを信頼するなら、上記の本をとりあえず入手して欲しい。