小説でしかできない表現について

id:minemuracoffeeです。転生したらSpreadsheetsだった件、をカクヨムで書いています。

前置きで自分の小説の話をぐだぐだ書くけど、本題は後半なので忙しい人は転スプの話はとばしてください。

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Spreadsheets/Excel Advent Calendarでこれを書き始めるまで小説を書くような趣味を持っていなかったので、日々四苦八苦している。

転スプは大きく分けて2つの要素で構成される。

  • Spreadsheet/Excel 解説・TIPS
  • 関数とworkerとの戦闘描写

前者ははっきり言ってぼくとしては楽。

もちろん書きながら技術的な検証もしないといけないし、埋め込みどころかリンクもつかない、表組みの表現もできないWEB小説というプラットフォーム、そして読者も技術ブログであれば検索で調べて訪れるので前提がわかっているが、カクヨムではそんなことはまったくない前提のない方々。

そういう張り合いはあるのですが、根本的な部分で技術的なことを書くのは慣れている。だてにSpreadsheetコミュニティ立ち上げてはいないのだ。

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苦労するのは関数とworkerの戦闘描写だ。最初はひどいものだったと思う。

f:id:minemuracoffee:20190120234517p:plain 第9話 荒ぶるSUMIFS - 転生したらSpreadsheetだった件(ミネムラコーヒー) - カクヨム

一瞬で戦闘がおわるのは表現力がなくて続ける言葉がなかったから。長く引っ張れるものが表現力があるわけではないが、表現力があればあるほど長く引っ張ることができる。

極端な例をあげるなら、秘密結社鷹の爪団とバガボンドだろう。

鷹の爪団は、映像作品でありながらその極端な低コストによる低い表現力のため、信じられないほど速いテンポで話が展開する。バカにしているわけではなくて、実際作中の吉田くんのセリフにそういう自虐ネタがあるのだ。

一方バガボンドといえば、ぼくはやはり胤舜編だと思っている。武蔵と宝蔵院胤舜が対峙したままお互い一歩も動かず、「葉っぱの裏まで見える」とか謎の思考を垂れ流して1話がほとんど終わる。文字すらかかれない一コマ一コマに凝縮された緊張感。至高の表現力がそれを可能にしている。

一応釈明すると、そういうことを思ってここ1ヶ月ほど転スプでも探求してきた。ずいぶんマシになったと思う。例えば41話。

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ARRAYFORMULAで強化されたROWとの戦闘描写だが、これはその描写だけでまるまる1話書いている。SUMIFSを書いていたときは関数のクリーチャー描写もふわっとしたものだったが、資料を読み込んで明確にイメージし、workerと関数の戦闘を頭に思い描きながらそれを言葉に落としていく。

そうやって多少はできるようになってきたつもりだったが、今日読んだカクヨムの他の方の作品で、根本的なことを間違っていたのだと気付かされた。

はい、ここから本題です。

1つは結葉 天樹さんの『昔話をリメイクしてみた』の第11話、耳なし芳一

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ルビ、というものをぼくはなめていた。難読漢字を読みやすくするためのものだと思っていた。しかしルビが仮名でないといけないなんて制約はそもそも小説には存在しない。

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あまりにも、あまりにもいい。ここに小説だからできる表現というものがある。

もう一つはかぎろさんの『ぽんぽこ大学ドンドコ学部ドゥッダンツカドゥッドゥン学科』(通称ぽん大)。

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荒唐無稽でおもしろいんだけど、1話に登場する中国人留学生との会話。

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いわゆるネットで見かけるエセ中国語というやつ。ぼくは中国語が諸般の事情で中学1年の夏休みの英語程度にはわかるようになったので、この記述が正確でないことぐらいはわかる。すくなくとも今じゃなくて現在(Xiànzài)だし、我々ではなくて我们(wǒmen)だ。そのことには当然作者も自覚的なのだが、あとで読んだあと風呂に入って思い返していてこの表現の恐ろしさに気づいた。

読者としては雰囲気で会話の内容がわかるのだが、これは実際に起こりうる会話を文字に起こしたものとしてはそもそも成立し得ない。この言語には発音方法がないのだ。

そういう意味では耳なし芳一のルビも同じだ。ルビが発音されているとしても、漢字の方はそもそも会話の中には出現していない。

つまるところ、最近のぼくは映像の写像としての小説を書こうとしていたのだが、そもそもそれは間違っていた。小説は映像の写像ではなくて、小説は小説でしかない。どうもぼくの表現は映画やアニメに引っ張られすぎている。もっと小説だからできる表現みたいなものを模索したい。